神棚を置く人、置かない人

選挙事務所や会社、いろいろな場所を見ていると、
神棚がある場所と、まったくない場所があります。

これは宗教の話ではありません。

私は、
「見えないものへの姿勢」が、
その場所の空気に出ると思っています。

神棚を置いている人は、
自分だけの力で生きていると思っていない人が多い。

ご先祖様だったり、
土地だったり、
支えてくれる人だったり。

「いただいている」という感覚を、
どこかに持っている。

だから、
毎朝水を替えたり、
榊を整えたり、
手を合わせたりする。

それは神様に媚びるためではなく、
自分自身を整える時間なのだと思います。

一方で、
神棚を置いていない人が悪いわけではありません。

忙しくて余裕がない人もいる。
そういう文化に触れずに育った人もいる。

だから、
置く・置かないで人を判断するつもりはありません。

ただ、
人は余裕がなくなると、
見えないものを雑に扱い始めます。

心が荒れると、
神棚や仏壇にもそれが出る。

榊が枯れていても気づかない。
水が濁っていても替えられない。
埃が積もっていても、そのままになる。

でもそれは、
「罰が当たる」という話ではなく、
その人自身が、
いっぱいいっぱいになっているサインなのかもしれません。

逆に、
小さくても整えようとする人は、
自分自身も整えようとしている。

私は、
長く続く会社や、
繁盛しているお店ほど、
神棚や掃除を大切にしている印象があります。

結局、
人は「空気」を感じ取る。

礼を大切にする人のところには、
自然と人が集まる。

神棚は、
願いを叶える魔法の装置ではありません。

「勝たせてください」とお願いする場所でもない。

自分の言葉や姿勢、
心を整える場所なのだと思っています。